【2】 1967年のライブ 〜 MONTEREY POP FESTIVAL 1967
   本文: さとう氏 
http://plaza12.mbn.or.jp/%7Esatom/sg.htm

 


  
MONTEREY POP FESTIVAL 1967 VOL.II
[Black Panther BPCD 040]



LIVE AT MONTEREY POP FESTIVAL 1967

[??Unknown??]

 


【曲 目】
1.Homeward Bound
2.At The Zoo
3.The 59th Street Bridge Song ( Feelin' Groovy )
4.For Emily Whenever I may Find Her
5.The Sound of Silence
6.Benedictus
7.Punkey's Dilemma



 1967年に開催された歴史的なイベント、モンタレー・ポップ・フェスティバルに出演したS&Gのステージの模様。

 アートは当時を回想して、" Monterey was the maraschino cherry on top of the sundae that was the '60s. it was nprecedented , and the audience was unprecedented in their joy." - 『 1960年代を象徴するイベントとなったモンタレーはサンデーにトッピングしたマラスキーノチェリーのようなもの。それは正に前代未聞のイベントであり、聴衆も前代未聞の歓喜に酔いしれていた。』 と言っている。
( " cherry " には、他の意味もある。ここでは、 " unprecedented " とかけているのかも知れない。)

 合計20万人の集客を記録したこのイベントは、正式名称を" THE FIRST ANNUAL MONTEREY INTERNATIONAL POP MUSIC FESTIVAL "と言い、ウッドストック・フェスティバルの2年前、1967年6月16日 金曜日から18日 日曜日までの3日間開催されている。発起人は、ママズ&パパス。ポールは運営委員の一人としてイベントに当たっている。

 モンタレー・ポップ・フェスティバルを皮切りにサンフランシスコを中心に全国でヒッピーの集会やコンサートが開かれた。時代はサイケ全盛期。そして、この波は日本にも押し寄せ、当時グループサウンズの一つのスタイルが確立されている。

 S&Gは、その初日となる6月16日のトリをとって6曲を歌っている。
 ここでもバックはポールのギターのみ。他の出演者たちのステージと比較するとスタイルは今で言う、 Unplugged (アンプラグド) とシンプル。

 1992年、25周年を記念してアメリカ国内で放映されたTV番組 " Monterey Pop THE LOST PERFORMANCES " (*1) では、二人の 「早く家に帰りたい(Homeward Bound)」 と 「サウンド・オブ・サイレンス(The Sound of Silence)」のステージの模様とともに、当時を回想してコメントするアートを見ることができる。この時の影像は現在、ブートレッグ・ビデオとして入手可能であるが、現在、公式ビデオ " Monterey Pop " (*2) からは 「59番街橋の歌(The 59th Street Bridge Song)」 のステージも見ることができる。ここでは一部にサイケ・ファッションの混じる聴衆の影像と共に、着飾りのない服装で登場する当時25才の若いS&Gを見ることができる。

 ポールはギルドの12弦ギターを抱えて登場。始めは緊張の面持ちの二人は次第に大きな喝采を浴びるようになる。
 彼らは、ここで この年の5月にシングルでリリースされたばかりの 「動物園にて(At The Zoo)」 、この日初めて聴衆に披露することとなる 「パンキーのジレンマ(Punkey's Dilemma)」 (この年公開された映画「卒業」のサントラのためにポールが提供するも不採用となった曲の一つ。)など全7曲を歌っている。

 「動物園にて(At The Zoo)」 では、" I do believe it . I do believe it's true. " という歌詞のところをこの日、 " A bowl of Rice Krispies . Ain't what it get used to be. " - 『ライス・クリスピー!これまでとは違いますよ!(新しくなりましたよ! - の訳が面白いかも)』と替え歌にしている。実はこれ、Kellogg(ケロッグ)の Rice Krispies (ライス・クリスピー)のCMにこの頃出演していたモンキーズ( "Monkees " )と 動物園の " Monkey " をかけてのジョーク。

 このコンサートでも、CDでは把握し切れない聴衆との楽しいやりとりがあったようである。ポールのステージにおけるMCには少なからずレニー・ブルースの影響が窺える。

 ここで一つの謎がある。30周年を記念して1992年にリリースされた公式ライブCDボックス(4枚組み)の " The Monterey International Pop Festival " (*3) では、ジャケットに二人のシルエットが載っているにもかかわらず、彼らの曲が一曲も収録されていないのである。

 " Paul Maclauchlan Home Page " (*4)  では、 " Permission was not granted for any of these songs to be included in RHINO's Monterey Box Set. " - 『 RHINO のモンタレー・ボックス・セット収録には、( S&G の)いずれの曲についても認可が下りなかった。』 としているが、レコード会社の都合によるものなのか、本人たちの意思によるものなのか、理由は不明である。(*5)

 さて、アメリカ国民にとって当時、ステージ上のS&Gはでどう映ったのであろう。当時の時代背景から、25才の彼らがどう映ったのか想像してみるのも興味深いのではないかと考える。いずれにしろ、楽しかった子供の頃を回想するかのように " サンデーにトッピングしたマラスキーノチェリー " と、アートが言っているように、モンタレーは彼らの歴史における輝かしいモニュメントの一つであったに違いない。

さとう)

 

参考文献
*1 : " Monterey Pop THE LOST PERFORMANCES "(ブートレッグ・ビデオ) 
*2 : " Monterey Pop " ( RHINO HOME VIDEO R32353 USA )
*3 : " Monterey International Pop Festival [ 30th Anniversary CD Box Set ] " ( RHINO R2 72825 )
*4 : " Paul Maclauchlan Home Page "

  *5: その理由として4つの仮説を立ててみた。

1.PA装置トラブル説
 CDの録音状態は、全体的には良いものである。恐らくマスターテープからのブートレッグ化と思われる。しかし、録音の一部、例えば、「早く家に帰りたい」 の始めと 「エミリー・エミリー(For Emily Whenever I may Find Her)」 の終わりなどで音が途切れたり歯抜け状態になっている。PA装置のトラブルによるものなのか編集によるものなのか不明であるが、ビデオ " Monterey Pop THE LOST PERFORMANCES " を見てみると影像でも 「早く家に帰りたい」 の冒頭のポールのボーカルが確かに入っていない。歌い始めたポールのマイクスタンドをアートが余計なことをして動かしてしまったようにも見える。さらに、録音全体に会場のエコーまで拾っている。そんなこともありライブ音源に値しないと判断されたのではないか。

2.商標トラブル説
  「動物園にて(At The Zoo)」 で、 Kellogg(ケロッグ)の商標である " Rice Krispies "を口にしている。後のポールの Kodachrome(コダクローム)同様、商標に絡む問題があったのではないか。

3.『パンキーのジレンマ』によるジレンマ説
 「パンキーのジレンマ(Punkey's Dilemma)」 に聴衆の笑いが起きている。S&Gと聴衆との間にどんなやりとりがあったのかこの時の全影像がないため不明であるが、この曲を初めて聞く聴衆にこの歌がコミックソング(または、サイケ・ソング)に聞こえたのではないか。(事実、この曲はポールがドラッグの中で作ったと言われている。)映像の伴わない音声だけではCDのリスナーに誤解が生じると考え断念したのではないか。

4.CD化無関心説
 あるいは彼らとしては、最初からCD化については無関心であったという説。「え?20周年記念のCDボックスが出るの?僕たちのは収録しなくていいんじゃないの?」 あっさりと、こんな感じだったのではないか。

録音のし直し、あるいは編集の効かない一晩限りの出番である。この日は後先を考えず、彼らとしては自由奔放にステージを振舞っていたのではないか。きっと、これらの要因が複合して音源がCD化にはいたらなかったのではないかと推測する。

 
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