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ポ−ルとキャロルの出会い
 7thAvenue E-MAIL  - 24/4/6(土) 9:43 -

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   ポ−ル・サイモンとキャロル・キングの出会い...

ポ−ルはクイーンズ・カレッジ 1年生の時、同学年の才能のある若いシンガーソングライター、キャロル・クラインと出会いました。彼女はキャロル・キングという名前で、すでに2枚のシングルをレコーディングしていましたが、どちらも大した成果は得られませんでした。彼女とはすぐ友達になり、キャロルは数学の授業を手伝ってくれたりもしました。

1959 年の春、2人はマーヴィン カルフィンという職業作家による" Just to Be with You "という曲を The Cosines 名でデモ音源の制作に協力しました。このデモ音源は、秋にジム・グリブルという白人ドゥーワップ・グループ、パッションズのマネージャーの耳にとまり パッションズが録音・発売したシングル・レコ−ドはそこそこのヒットをしました。当時を振り返って キャロルはこう回想しています。『「 私たちが歌った音源がラジオに流れていれば良かったのに..」とは、思いませんでした。むしろ、私たちのデモ音源がヒットにつながったことを誇りに思っています。』と...

このシングルが発売されるまでに、キャロルはクイーンズ・カレッジの夜間学生であったソングライターのジェリー・ゴフィンと出会い・結婚していました。彼女は、フルタイムで音楽に集中するためにカレッジを辞めました。
( その後、1962年 キャロルとジェリ−ゴフィンのコンビは ” Locomotion ”で大ヒットを飛ばす事になります。この曲を歌った 黒人少女のリトル・エヴァ は彼女達の家のハウス・キーパ−だったという説があります。)
https://www.youtube.com/watch?v=eKpVQm41f8Y

ポ−ルは母親ベルの期待もあり、クイーンズカレッジに残ることにしました、その時は賢明な決断だったと回想しています。後にサイモン&ガーファンクルのマネージメントとなるモート・ルイスによれば、もしポールがキャロル・キングを追ってカレッジをドロップ・アウトしていたら、おそらくティーン・ポップのヒット曲の道を追求し続けていただろうと、でもせいぜい、当時のヒットメーカーに曲を提供するソングライターの仲間入りをしただけだろう。しかし、それはほとんど行き詰まっていたと思う。何故なら 「 ボブ・ディランとビートルズの登場により、それらの職業作家はほとんど時代遅れになってしまったからだ。 」とルイスは付け加えました...

The Cosines : Just to Be with You
https://youtu.be/qLOh-VIP2ws

The Passions : Just to Be with You
https://www.youtube.com/watch?v=5_Bl_74KHBo

残念ながら キャロルは歌っていません、彼女はRCAレコ−ドと契約していたので 歌うことができなかったのです、演奏で参加しました。個人の名前も使わず...ポールとの 架空のグル−プ名 ” The Cosines ” としました...この名前、ポールは余程 数学( 三角関数 )が苦手だったのでしょうかwww

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ポ−ルとキャロルの出会い 7thAvenue 24/4/6(土) 9:43 [添付] [未読]

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