|
千原さんが教えてくれた記事、訳してみました。ひとまずさわりだけ。
基本的にレコードマニア同士の会話なんですが、ロイ・ハリーらしい勝手な話の進行があったりして面白いです。
> ベテランエンジニア、ロイ・ハリーによるサイモン&ガーファンクル、そしてその他のレコーディング Part1
マイケル・フレーマー
2005-07-01
多くのすばらしいサウンドを持つレコードにロイ・ハリーの名前が見出せないのは、彼が手がけていないからではなく、コロンビア・レコードの長年にわたるポリシーでレコーディング・エンジニアをクレジットしなかったためである。とすれば、彼がクレジットされていないものについて、どれが彼の作品なのか知りたい欲求に駆られる。これがきっかけで私は、ロイ・ハリーの近作の多くをマスタリングしたスターリング・サウンド社のグレッグ・ガルビーを通じ、彼について調べたのである。そんなことより、一貫して偉大なサウンドを生み出してきた人物と直接会って、ビル・ポーターのインタビューと同じように、顔をつき合わせて隣に座ってみたかったのだが。そして凡百のレコードの失敗をよそに、彼がなぜ、どういう工夫をしてすばらしいレコードを生み出してきたのか知りたいと思ったのである。
ロイ・ハリーのレコーディング・クレジットのなかで特に有名なものは、サイモン&ガーファンクルのすべてのレコード、ザ・バーズの傑作(『The Notorious Byrd's Brothers』と『Sweetheart Of The Rodeo』)、そしてポール・サイモンの、芸術的にも商業的にも大成功を収めたプロジェクト『Graceland』と『Rhythm Of The Saints』だろう。
ロイ・ハリーはNY育ちで、音楽一家の出身である。母親はアル・ジョンソン・バンドでバイオリンを弾いており、父親はアニメ「マイティー・マウス」の歌声も演じていたミュージカル俳優、姉妹にオペラ歌手がおり、自身も趣味でトランペットを吹く。ロックやポップスとの関わりが長いが、彼はクラシック音楽、とくにオペラの愛好者である。
ロイ・ハリーは自分の仕事を家に持ち帰っても平気である。彼のステレオシステム、すなわちロックポート社のシステムIII・シリウス(900万円くらいする超高級ターンテーブル:訳注)、ウィルソン社の「アレクサンドリアス」(高さ2メートルくらいある超高級スピーカシステム)、同じくウィルソンの冷蔵庫サイズのXcessサブウーファー(重低音再生用スピーカー)があれば、それも当然だろう。
マイケル・フレーマー:
よい音というものを熟知した経験豊富なエンジニアとして、レコードを最新のサウンドに仕上げることが、それは必ずしもよい音質を意味しませんが、そういった矛盾にどう折り合いをつけますか?
ロイ・ハリー:
それはとてもいい質問だね。まずはじめに、私はたくさんのポップ・レコードを作ってきたから、そこではレコードを最新のサウンドに仕上げなければならない。何をおいてもそうしなければならないんだ。コロンビア・レコードにいたわけだからね。編曲者がスタジオに飛び込んできて曲についてざっと説明したら、すぐにサウンドにかからなければいけない。重ね録りをしながら3時間で4曲やらなければならない状況では、とにかく手早くやらなきゃいけないし、音質なんて後回しになることもあるんだ。
マイケル:
コロンビアではどういうスタートでしたか?
ロイ:
コロンビアではクラシック部門に入った。CBSテレビジョンを解雇されてね、100人くらい解雇されたんだ。
マイケル:
そうでしたか。ビル・ポーターも同じ経験をしたそうです。彼もテレビ局を解雇されて、RCAナッシュビルに行ったんです。
ロイ:
テレビでは「グリーソン」とか「プレイハウス90」とか、そういう音楽番組をやっていた。父親が歌手だったから、レコード業界に移ったのは幸運だったよ。ミッチ・ミラー(「ミッチと歌おう」、のミッチ・ミラー。コロンビアのA&R部門の責任者:訳注)に誘われてね。それからクラシック演奏の録音編集をはじめた。50年代後半、ステレオ時代の初めの頃だ。
マイケル:
あの「東30丁目通りスタジオ」で働いたんですか?
ロイ:
うーん、違うね。当時は録音スタジオは録音スタジオ、編集室は編集室、マスタリング室はマスタリング室でそれぞれ別の場所にあったんだ。(現在では録音スタジオと編集室は同じ建物にあるのが普通:訳注)録音のあと、編集室で編集してステレオとモノラルにミックスダウンしたテープが、こんどはマスタリング室に運ばれる。私は編集室にいて、好きなクラシック音楽の編集をたくさんやった。私が本当に愛しているのはクラシックなんだ。
そのうち編集室から、テープマシンの操作のためにちょくちょく録音をやっているマンハッタン・センター・スタジオ(東34丁目)まで行かされてね。だんだん慣れていった。少し残念だったのは、そこでの録音作業はあまり熱心な感じじゃなくて、きまりごとのようなんだ。なかに入ると、ああいうAKG C12(AKGの真空管マイク。現在の最新型はAKG C12VR。ロイの部屋にはそれがあるらしい・・:訳注)が10本立っていて、ぽんぽんぽんと、いつも同じように録音して、誰も何も変えようとしない。管弦楽の録音にマイクをたくさん使ってね。
マイケル:
クラシックのレコーディングに人工的なリバーブ(残響効果:訳注)をたっぷりかける、などということはしなかったんですか?
ロイ:
うーん、マンハッタン・センターの録音では必要なかったな。しかしあの頃は、コロンビアのいわゆる黄金時代で、ニューヨーク交響楽団や、フィラデルフィア・オーケストラも手がけていたね。それで、クリーブランドでの録音はすこしドライ(残響が少ない)だったな。
マイケル:
ジョージ・セルの有名な話で、彼はカウチの下にAR-3A(名機といわれる伝説的スピーカー:訳注)を置いていて、自宅に持ち帰った作りかけのテープを聴いて、「低音が強すぎる!」と。それでレコードは低音を控えめにした仕上げになった、ということですが。
ロイ:
話はその通りだと思うよ。バディ・グラハムに話してみるといいよ。[フィラデルフィア・オーケストラ、モルモン教会合唱団をはじめ、コロンビアの主要なクラシック録音を手がけたエンジニア]
(コロンビア「黄金時代」のフィラデルフィア・オーケストラ、ニューヨーク交響楽団などのクラシック演奏の名盤は、いまは廉価版CDとなってワゴンで売られているらしいです。50年代後半のマンハッタン・センター・スタジオやクリーブランドの録音はロイ・ハリーがやっていた可能盛大、ですかね。:訳注)
マイケル:
それがたぶん、コロンビアのレコードがマーキュリーズやRCAと一緒に数ドルの廉価版で売られている理由のひとつですね?
ロイ:
マーキュリーズの当時のすばらしいモノラル盤をたくさん持っているんだが、そのライナーを読んで気付いたのは、指揮者の頭上に一本だけマイクを吊るして録音しているんだ・・・。たくさんマイクを立てるのが必ずしも実際的な方法じゃなかった、ということさ。
マイケル:
そういう意味では、コロンビアはロック&ロール的じゃなかったということですね?
ロイ:
そうさ。A&R部門の責任者だったミッチ・ミラーもロック&ロールは好きじゃなかった。彼はポップスの人だった。シナトラとか、パーシー・フェイスとか。ともかく私はクラシックから離れて、スティーヴ・ローレンスやジョニー・マチスのような、よりポップなものを編集できるようになったんだ。そこでこう思った。音楽的には趣味じゃないが、ポップスはクラシックより面白い、よりチャレンジングだと。
マイケル:
そこではどんな編集をしたんですか?テイクの途中をつぎ合わせるようなことをしましたか?
ロイ:
もちろんさ、たくさんやったよ。しょっちゅう問題が起きていたからね。つねに3トラック録音しておいて、問題があると貼り合わせて修正するんだ。
マイケル:
問題とは、どういう意味ですか?技術的に、それとも音楽的な意味で?
ロイ:
コロンビアで技術的な問題が起きたことは、私の経験では一度もなかった。フレッド・プロートやフランク・ライコのような奴ら、すばらしいスーパーエンジニア達がいたからね。とてつもなくすごいメンテナンス・スタッフさ!そして録音セッションのプロデューサーが編集担当に、作業にかかる前に問題のある箇所を全部説明するんだ。3トラックの編集を終えて、アルバムが完成するまでに何日もかかっていたものさ。
マイケル:
録音セッションに立ち会うことはなかったんですか?
ロイ:
時折、機材の操作のために出かけたね。バックアップ要員としてだったり、録音中の状況を見ておくために行ったこともある。でも主として編集とリミックスをやっていたんだ。一年半くらいやって、うまくできるようになった。それから「おい、その新人を使ってみようぜ」とA&R部門の誰かが言って、レコーディングもやらされるようになった。
マイケル:
それからアーティストと関わりを持つようになったんですね。
ロイ:
その通り。そうしてスティーヴ・ローレンスやイーディ・ゴーメと一緒にやるようになった。『Go Away Little Girl』のミックスは私が手がけたが、ナンバー・ワンになったね。(Gerry Goffin & Carole King。スティーヴ・ローレンスの1963年のナンバーワン・ヒット:訳注)それで私も名が知れた。スタジオで仕事がしたくてしょうがなかったし、リミックスもどんどんやるようになった。
|
|