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The Rhythm Of The Saint...[1]  /  Art Garfunkel Live at R...[0]  /  色々な謎が解けてきました...[1]  /  1964年4月...[3]  /  CM採用「明日に架ける橋」[0]  /  

The Rhythm Of The Saints...
 7thAvenue E-MAIL  - 24/1/12(金) 10:07 -

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   ブラジルでのレコーディングは官僚的な役所仕事の壁が悪夢のように次々と立ちはだかりました。

ミルトン・ナシメントのレコードプロデューサー、マルコ・マッツォーラの多大な協力と仲介役がなければ、その多くを克服するのは不可能だったでしょう。マッツォーラは、ポールとフィル・ラモーン( ロイ・ハリーの代役 )のためにスタジオでの時間を予約しただけでなく、地元のミュージシャンも招集してくれました。

数日後、ポールはもっと話を聞きたいと熱望し、マッツォーラは彼をサルバドール市に連れて行き、そこでこの地域の数々の世界遺産を讃え、人種差別や経済抑圧と戦うことを目的とした文化集団 オロドゥムの話を聞きました。( この地の歴史を振り返れば 300年以上に渡りポルトガルに植民地支配されていたわけで...オロドゥムは単なる観光客を集める為の音楽集団ではないのです、彼らの祖先はおそらく西アフリカから強制的に連れて来られた 黒人奴隷に違いありません )

ラモーンは回想録の中で、オロドゥムがポールとの協力を熱望していたのは、彼らの指導者たちがこのつながりによってグループが世界的に注目が集まることを望んでいたからだと書いています。

セッションはサルバドール旧市街の歴史的なペロウリーニョ広場で開催され、中庭の壁は明るい白に塗られていました。パフォーマンスを録音するために、ラモーンはポータブル機器をレンタルし、電柱にマイクを吊り下げ、テープが回り始めると、グループのメンバーは広場を練り歩きながら、素晴らしいエネルギーと精神をドラム演奏に注ぎ込みました。

帰国する飛行機の中で、ポールは、やがて「The Rhythm Of The Saints」というタイトルになる新作アルバムに持てる時間のすべてを捧げることに決めたのでした...

添付画像
【41873.jpg : 62.1KB】
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Re:The Rhythm Of The Saints...
 1619Broadway E-MAIL  - 24/1/14(日) 16:46 -

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1988年8月31日夕方、私はポール・サイモンに会わせてもらうためにマンハッタンのレコーディングスタジオ「Hit Factory」にいました。
控え室で彼を待っている間、壁の向こうから凄まじいドラミングの音が聞こえていました。
まさに、このときレコーディングしたものだったと思います。貴重な体験でした。
<Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Geck...@p407230-ipngn200404kamokounan.kagoshima.ocn.ne.jp>

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Art Garfunkel Live at Royal Albert Hall 1988
 7thAvenue E-MAIL  - 24/1/2(火) 13:17 -

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[添付] 〜添付ファイル〜
・名前 : 1988.jpg
・サイズ : 69.6KB
   Art Garfunkel Live at Royal Albert Hall 1988

下記アドレスをクリックして下さい!
https://vimeo.com/manage/videos/899125953

Art Garfunkel - vocals、Simon Nicol - guitar、 Nicky Hopkins - piano、 Jess Bailey - synthesizers、 Woody Woodmansy - drums

『 アート・ガーファンクルによるこの未発表のライブ音源は、ポール・サイモンとの疎遠が続いていた時期にロンドンの伝説的なロイヤル・アルバート・ホールで録音されました。2人は1970年に解散して以来何度も再会しましたが、その後、ほぼ12年間会話を交わしていません。

たとえお互いに同じ場所にいられなかったとしても、アーティはポールの歌を歌い続けました。ポールがすべての曲を書きましたが、アーティのその独特の透き通った声は、彼らがレコードをヒットさせ成功した要因の半分を占めていました。この録音には 4 曲しか存在しませんが、アーティはソロ ショーの代表的なクローザーである古典的な「Bridge Over Troubled Water」を歌っています。

ア−ティはS&Gの解散前から俳優業に挑戦しましたが、1973年にようやくソロ・アルバムを作る段階になったとき、彼はジミー・ウェッブなどのソングライターに大きく依存しました。ランディ・ニューマンも楽曲を提供してくれました。ここでもこれらの両方のソングライタ−の曲を歌っていますが、巻き髪のテナーが彼の最も有名なサイモン&ガーファンクルのレパートリー以外の曲に挑戦しているのを聞くのは新鮮です。才能豊かで有名なミュージシャンの素晴らしいキャストに支えられたこのセットは、アーティの最高のパフォ−マンスの一部です。』

添付画像
【1988.jpg : 69.6KB】
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色々な謎が解けてきました。
 イッシー&バッシー E-MAIL  - 23/12/23(土) 8:49 -

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   7thさん、ありがとうございます。
1965 年の I Am A Rock も、このトラウトから産み出されたようですね。
まだまだありそうです。
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Re:色々な謎が解けてきました。
 7thAvenue E-MAIL  - 23/12/23(土) 12:15 -

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   ▼イッシー&バッシーさんの投稿:
>7thさん、ありがとうございます。
>1965 年の I Am A Rock も、このトラウトから産み出されたようですね。
>まだまだありそうです。

イッシ−さん
こちらこそ、ぐだぐだ話にお付き合い戴きありがとうございます。

まだ、通説を否定する話題を書き込みしようと思っていますが...

しばらくの間は おとなしくしていますwww
<Mozilla/5.0 (Windows NT 10.0; Win64; x64) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Geck...@tcn055017.tcn-catv.ne.jp>

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1964年4月...
 7thAvenue E-MAIL  - 23/12/20(水) 23:22 -

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・名前 : 4512.jpg
・サイズ : 64.6KB
   1964年4月、ポールが渡英を決心した理由...

『 水曜の朝、午前3時 』には明確な約束があり、コロンビアのプロデューサー、トム・ウィルソンも太鼓判を押していました。そこで1964年3月31日、コロムビア・レコードはサイモン&ガーファンクルのデビュー公演を用意し、会場はグリニッジ・ヴィレッジの有名なクラブ、ガーズ・フォーク・シティでした。

ポールとアーティがガーズのステージに上がったとき、興奮が漂っていましたが、誰が見に来ていたと思いますか?他ならぬボブ・ディランその人でした。そして彼はニューヨーク・タイムズの人気評論家ロバート・シェルトンを連れてきていました。伝説によると、ディランは酒を飲みすぎ、ショーの間ずっと大声で話し、時には笑いさえしていたとの事でした。シェルトンはのちに、アーティはさておき ポールの目にあきらかにダメージが与えられたと主張しました。サイモン&ガーファンクルの大切なデビュー・ステ−ジは観客の笑い声にかき消され、その話はすぐにヴィレッジ中に広まりました。ディランは意図的かどうかは別として、一夜にして彼らを笑い者にすることに成功したのでした。

明らかに悲惨なデビュー公演の後、発売前にもかかわらず 『 水曜の朝、午前3時 』は失敗に終わると確信したポールはヴィレッジを離れ、ロンドン行きの飛行機に搭乗したのでした。

注 )ポールの渡英理由は 『 水曜の朝、午前3時 』が売れなくて失意の中で...と、いう事ではないのです。私は昔から ディランも菅野ヘッケルも大嫌いです。” ポール・サイモン全詞集を読む ” にはぜひ記述して欲しかった事...です。まあ、知らなければ仕方がありませんがwww

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【4512.jpg : 64.6KB】
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Re:1964年4月...
 イッシー&バッシー E-MAIL  - 23/12/22(金) 8:40 -

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   ▼7thAvenueさんの投稿:
>1964年4月、ポールが渡英を決心した理由...
>
>『 水曜の朝、午前3時 』には明確な約束があり、コロンビアのプロデューサー、トム・ウィルソンも太鼓判を押していました。そこで1964年3月31日、コロムビア・レコードはサイモン&ガーファンクルのデビュー公演を用意し、会場はグリニッジ・ヴィレッジの有名なクラブ、ガーズ・フォーク・シティでした。
>

>明らかに悲惨なデビュー公演の後、発売前にもかかわらず 『 水曜の朝、午前3時 』は失敗に終わると確信したポールはヴィレッジを離れ、ロンドン行きの飛行機に搭乗したのでした。


7thさん、貴重なお話をありがとうございます。
このお話は、The Boxer そのものですね!
I am leaving, I am leaving
But the fighter still remains
を、すぐさま思い浮かべました。
<Mozilla/5.0 (Macintosh; Intel Mac OS X 10_15_6) AppleWebKit/605.1.15 (KHTML, l...@p774147-ipngn1301okidate.aomori.ocn.ne.jp>

Re:1964年4月...
 7thAvenue E-MAIL  - 23/12/22(金) 13:30 -

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   ▼イッシー&バッシーさんの投稿:

>このお話は、The Boxer そのものですね!
>I am leaving, I am leaving
>But the fighter still remains
>を、すぐさま思い浮かべました。


イッシ−さん 気が付きましたネ...その通りです、

この事は 以後のポールの曲作りのみならず彼の人生そのものに多大な影響を及ぼしたのは間違いありません。

>I am leaving, I am leaving

この日から約1週間後には既にロンドンに到着した彼は伝手を頼って英国のフォークサーキットにチャレンジしてみることにしました。

>But the fighter still remains

4月19日 エセックス州ブレントウッドのレイルウェイ・フォーククラブでチケット販売をしていた女神に出会います...キャシ−です...戦う戦士には 心の安らぎも必要でした...

以後の話は、また後日...
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Re:1964年4月...
 7thAvenue E-MAIL  - 23/12/22(金) 23:52 -

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   >1964年4月、ポールが渡英を決心した理由...

私の私見を書きます...
この話( 事件 )を知らずして ポール・サイモンを語らないで欲しいと思っています。

ポ−ルは、昔あるインタビュ−記事で ” あなたは何故 英国に来たのですか? ” と聞かれてひと言だけ ” ディランが居るからです ” と答えました...何て 痛々しいんだと思って読みました...

イッシ−さんが書かれている通り...
ポ−ル・サイモンの曲作りには 1964年3月31日のガーズ・フォーク・シティでの事件がいろいろな場面で見え隠れします。
( 例えば ”簡単で散漫な演説 ”、この曲でポールが一番言いたかったのは 名指しでディランを語ってるところです )

では何故 この事件が周知されなかったのか?
サイモン&ガーファンクルとディランは同じレコ−ド会社でしたので どうでもいい音楽評論家達がコロムビアに忖度して書く事をさけていたか?全く知らなかったのか?だと ずっと思っていました。
例え知っていたとしてもフォ−クの神様のネガティブな一面など恐ろしくて書けなかったのでしょうか?どこかの国の音楽事務所といっしょです。

最近話題の ” ポール・サイモン全詞集を読む ”
この本の筆者が、もしこの事件を知っていたら 随分内容が変わっていただろうと容易に想像できます。
この本が届いた時 BPさんに 少し読んですぐに読むのやめましたと伝えたのはその為でした。

1999年のディランとのツア−には 飛び上がる程 ビックリしました...えっ何故? と思いましたネ...これは ポールの方から誘った?可能性もあるのでしょうか?何か 下心があったのかも知れません。

根に持つタイプのポールですからwww

ポ−ルが書いた名曲の数々にはこうした背景があった事を知っておいて戴きたく ぐだぐだ書いてしまいました。
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CM採用「明日に架ける橋」
 AII E-MAIL  - 23/12/5(火) 12:43 -

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   よく権利取れたなと思うけれど、
ひさびさにTVで流れるアートの歌声

https://www.ihi.co.jp/all_news/2023/other/1200454_3548.html
<Mozilla/5.0 (iPhone; CPU iPhone OS 17_2 like Mac OS X) AppleWebKit/605.1.15 (K...@softbank060158173172.bbtec.net>

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