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いくつかの別のステージの音源を聴き比べていたんですが、オフィシャルDVDと他の会場のステージで、MLTのアーティのコーラスがすこしづつ違うんですね。
で、やっぱり彼にはMLTにつけるべきコーラスのラインが5,6本常時見えていて、その日の気分やなりゆきで歌いたいところを歌っているんだな、と再確認しました。そういえばAmericaでも、S&Gでうたった録音、数はそんなにないんですが、ひとつとしてコーラスが同じものがありません。他の曲も詳しくは聴いてませんが、間違いなくコーラスはいつも違いますよね。
シロウトには一種類のコーラスでもちゃんと歌うのが厳しいのに、その日の気分でコーラスが変わる(コーラスですよ、ソロのラインじゃなくて)アーティ、すごいなと思います。
他方、ポールがスローめな曲をいつになく画一的に不自由そうに歌っているのは、アーティに自由に動きやすいようにしてあげているにちがいないです。なんかエバリーズと似てますよね。
総じてソロ時代のポールは音楽的に自由でのびのびしていると思うんですけど、それはS&G頃のそうした気苦労の反動なんでしょうかね。アーティがS&G時代も今も森の妖精のように気ままで自由なのは、ポールが陰で支えているおかげだったのかもしれません。
逆にMrs.Robinsonの"Hidin from the kids?"のフレーズみたいに、ポールがソロ時代風に飛ばすと、アーティは置き去りです。「Folk Big4」だったかに「ポールが突っ走って付いて行けない」とアーティが愚痴ったと書いてあったような記憶がありますが、これのことだな、とおかしく思いました。
Ceciliaのアレンジなんか、ポールの最近のソロのアレンジじゃなくてアーティの普段のステージでやっているほうにしたのは、「ポールが妥協したな?」と感じます。
アーティは森の中では気ままで自由な妖精なんだけど、静かな森を出て、アリゾナの砂漠やアフリカのサバンナ、ブラジルの密林のようなところで生きてゆくたくましさには欠ける、というところでしょうか。
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