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ベテランエンジニア、ロイ・ハリーによるサイモン&ガーファンクル、そしてその他のレコーディング Part2
マイケル・フレーマー
2005-07-01
マイケル:
音響的には、例の3枚組みCD(1991年にコロンビアから発売)は、ほんとにがっかりでした。
ロイ:
そう、だけどね、あれは4世代か5世代目のテープだったんだよ!コロンビアはテープをなくしてしまったんだ。昔は全自動のファイリングシステムまで持っていたのに。なんでそんなことになったか理解できない。
とにかく、スタジオにそのひどいテープが届いて、これをどうすればいい?はじめ私は、それを送り返してやった!CBSに電話したよ。「おい、ちょっとまってくれ!オリジナルを探してくれよ!ミックスをやりなおすから。オリジナルさえあれば、なんでもするよ。そっちの言うとおりに、なんでも、どんなことでもするよ!歴史的な記録なんだから、私はきちんとやりたいんだよ。すごくいい音の録音だっていろいろ入っているんだから・・・」
CD化に際して、きれいな音に仕上げたかった。地獄に落とすようなマネはしたくなかったんだ。でもオリジナルテープは見つからなかった。それで考えた。「やるか、逃げるか」だ。結局やることに決めた。そうしなければ、他の誰がやったとしてもダメにしてしまうだろうから。イコライザーを使いまくって、中音域をスカスカにしてしまうだろう、とね。(Rhinoのリマスター版を手にしたこんにちでは、そこまで言わなくても、という気も・・・:訳注)
それで自分でやったんだ。あらためて『ボクサー』を振り返ってみると、今日でもあのレコードには説得力が失われていない。20トラックが、そのうち4つはワイルド・トラックだが、それが手作業で同期され、ミックスされている。技術的観点でみると、まさしく偉業というにふさわしい。
マイケル:
レコーディングした当時を振り返ると、実験的試みの数々は楽しかったんでしょうね?
ロイ:
非常に楽しかった。でも『グレイスランド』に取り掛かったら、さらにチャレンジの連続だったよ。『リズム・オブ・ザ・セインツ』もそうだった。
マイケル:
あなたはポールのソロアルバムを全部手がけたんですか?
ロイ:
いや、全部じゃない。アーティの最初のソロアルバム(『天使の歌声』1973年)を手がけていた時は、ちょっとした感情的な行き違いがあって、ポールとケンカしていたんだ。でも替わりにフィル・ラモーンを起用することを勧めたのは私なんだよ。フィルは私のお気に入りだったから。
マイケル:
ポールは、あなたがアートと仕事をしたので怒っていたわけですか?それとも、単なるスケジュールの問題ですか?
ロイ:
怒っていたさ、もちろん。でもアーティのレコードを仕上げなきゃいけなかったし、これはこれで楽しかったんだ。私好みのポップスのレコーディングのやり方で、今も気に入っているレコードだが、2台の16トラックマシンを同期させて、最高のサウンドに仕上がっている。
マイケル:
24トラックではなく、16トラックを使ったんですか?
ロイ:
いや、24トラックでもデジタルでも同じことさ。曲を洗練し、完成させるときに、古い35ミリレコーダのめんどうな手順を踏まなくて済むんだ。いまやヘッド幅がたっぷりあるんだから。
(16トラック以降のテープは幅が2インチ、約51ミリあり、35ミリ時代のテープに比べると、見た目でたっぷり録音できそうな感じです。:訳注)
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