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皆様 いつも投稿楽しく拝見させて頂いています。
一昨晩、10/21、NYC、Radio City Music Hall でのコンサートに行って来ましたのでレポートさせて頂きます。(長文雑文おつきあい下さい)
地元NYの一晩限りのコンサートということで満員盛況。この晩のチケットは当然発売開始後すぐにsold-outだったのですが、通常当地のコンサートですと業者が買い占めたものの、結局捌けずに、当日空き席になってしまう席が結構発生してしまうのが常ですが、この晩は本当にぎっしりでした。
私の席は前の方ではあったのですが、残念ながらホールの一番左端。巨大スピーカーのまん前で、まるで舞台袖から見ているような状況でした。ノリノリのお客さん達の状況はよく見える席でしたが…..。
この晩のPaulはSurpriseツアーでおもに着ている明るいvioletのシャツではなく、NYに敬意を表してか、Blueのシャツに紺色のキャップといういでたちでした。
秋のコンサートのレポートで皆さん書いていらっしゃるよう、7月のNJでの屋外コンサートの時に比べると、格段に演奏の完成度が高まっておりすばらしかったです。
またPaulの声も非常に伸びと力強さがあって本当に若々しかったです。NJの屋外コンサートは、その時期のNY/NJしては異常に蒸し暑かった上に、会場の音響も悪くて、アレンジを変えたアップテンポの曲(“Diamonds----“とか)は、正直何やっているのか訳わからなかったですが、この晩は本当にすばらしかったです。ホームグランウドで大勢の家族や知り合いに囲まれてのコンサートなのでPaulも非常に気持ちよくPlayできたのでは、と思います。
(そういえば、intermissionで、近くを、Eddie Simonが、漂うように歩いていてびっくりしました。始めてみる彼は、お兄さんよりさらに一回り小さくて細くて、本当、表現は悪いですが漂っているようでした。また、Old Friend Tourのバックバンドの人とかも客席に見かけました。)
コンサート前半のMCで、”毎回毎回、またshowをやるのか、と感じるけど、今晩は特別な気分だよ” みたいなことを言っていましたし、コンサートの最後にも、”本当に、本当に今晩はすばらしかった”としみじみ言っていたので、よほど気分がよかったのでしょう。
観客のノリも良く、”That Was Your Mother”の途中、観客の若い女の子がステージに駆け上がって、Paulの横に立って踊りまくる、というハプニングも発生。
警備の人も演奏の邪魔をしてはいけないと思ってか、しばらく手を出せない状態で、1コーラス近く踊っていました。(その後、捕まって、かわいそうに強制退去。)
曲が終わって、Paulは”今のCajun Girl誰だろう。名前しらないけど”と言っていました。
Set listは、シアトルとほぼ同じでしたが、1曲追加されていました。”僕とフリオと校庭で”の次に、その曲のスタジオ録音版でのclosingのストリングスの音を思わせる、OM42での低音弦のトレロモっぽい弾き方が始まり、最初は”???”でしたが、ハミングが始まり、”Train in the Distance”とわかりました。Blueのカクテルライトの中、雰囲気満点でした。
最後はベースの人のハミングでFade Outして行くのですが、このハミングがGracelandアルバムっぽいハミングで、面白かったです。
また、アンコールでの曲順が変わり、締めがThe Boxerでした。これぞ秋の夜の寒くなり始めたNYのコンサートの最後を飾るにはピッタリという感じ。
7月に較べて変わったなと思ったのは、Slip Sliding AwayをD-12-28ではなく、OM42を使って演奏していたことでした。ハイコード・ハーモニックスと太い低音を多用した格好良いメロディラインをかなりとり入れて弾いていました。
それと、千原さんのレポートでも紹介されていた新しいギターがやはり導入されていました。 Mrs.Robinsonの途中でOM42から持ち変えるのですが、遠くから見ると、bodyがアルミの様な金属的な印象を受ける代物で、音も大変金属的な感じでした。
7月のコンサートでは確か、曲の途中で生からエレキに持ち替え、また生に持ち替える、といった忙しいことやっていた記憶がありますが、今回は持ち替えたら最後まで新エレキギターでした。
以上がコンサートの報告です。ここから先は蛇足です。
一人で見に来たこともあり、いい年して人生初の出マチをしました。
コンサートが終わって、われわれ一般観客は、ぞろぞろと会場を出るのみですが、コンサート協賛企業のお客さんとか、Paulの財団への寄付金込みの特別チケット買ったようなお金持ちの、All-Access Passをぶら下げた人たちは、楽屋へ向かう通路に行列。
”うらやましいなー”と思いつつも人ごみ流されながら51th St.に面した出口に押し出されたので、そのまま何も考えずに、5番街の方向に歩き始めました。
道沿いに、バリケードと、道に横づけされた大型トラック・バスに出くわし、”そーか、ここで待っていれば生サイモン見れるかも”と思い、10数人いたファンの人たちと共に待つことに。
さあ、それからが長かったです。通用口から出てくるのは、劇場の従業員や、スタッフ、楽屋での歓談を終えた招待客の人ばかり。
1時間ぐらいして、機材の搬出があらかた終わるころになって、やっとSteve GaddやMark Stewartらのバンドの人が出てき始め、そしてさらに待つこと10-20分、やっと、”神様”がお出ましになりました。
千原さんの写真同様、Paulは赤いジャケットを羽織っていました。
最初、ガードの人に先導され、我々が待つのと反対方向へ歩き始め、思わず一同ため息状態。(New Yorkerにしては皆おとなしくて、咄嗟に呼びかける声も出ませんでした。)
数メートル行ったところで、彼はこちらに気づき、踵を返して、こちらに挨拶に来てくれました。
すごくひそやかな声で”Thank you for waiting for long time”といいながら近づいてきて、その場の一人一人と握手をしてくれました。
私ももちろん握手してもらい、”すばらしいshowでした”と声をかけましたが、残念ながら写真をとる機会は逸してしまいました。
となりのアメリカ人のおばちゃんも感激のあまりか、Paulに握手しながら、”Hello”としか言えず、Paulもちょっと面白がった様子で、”Hello”と答えていました。
近くで見る彼は、目じりとか皺が深いですが、最近のinterviewのvideoに比べ、遥かに若々しい印象でした。
昔、日本ツアーに来た時の音楽雑誌の記事で著者の方が ”今まで握手したことのある一流ミュージシャン同様、握手したPaulの手は非常に柔らかかった”といったようなことを言っていたのが印象的だったのですが、まさにそうでした。外人の人の場合、小柄でも意外と大きくてがっしりしている手の人が多いのですが、日本人と同じサイズでかつ柔らかい手でした。
彼はその後、Body Guardの人にエスコートされ、道を横切り、家族の人達と、黒い大型SUV(車の後ろに自転車だかスキーだかをつける金具がついていたんでprivateの車?)に乗りこんで去っていきました。
こうして、めでたく神様との第三種接近遭遇を果たし、夢見心地で5番街の方向に向けて歩きはじめました。ロックフェラーセンター(NBCの本社・Saturday Night Liveのスタジオがあります)の側を通り過ぎるとき、あらためて、遥か昔、中学生のころ有楽町のニッポン放送に、My Little Town発売にあわせてPaulがホストでArtを招いてSaturday Night Liveに出た時のビデオを見に行った時のことを思い出しました。本当にあのときから長い年月がたったなあと、しみじみ思わずにはいられない夜でした。
以上、本当に長文ですみませんでした。
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