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スミマセンもう少し書かせて下さい。
1969年秋のツア-について
ア−ティの主張は、66年初頭以外はずっとコンサ−トでの演奏はポ−ルのアコギ1本でやってきたので、同じようにやろうというものでした。
一方、ポ−ルは今後<サイモンとガ−ファンクル>としてもサポ−ト・メンバ−を加えたバンド演奏をバックに付けることも必要だというものでした。
(これは先程↓でも書きました)
そして2人の意見を半分ずつ入れた形で、このツア−は2部構成になったのでした。
このあたりでも2人の意見の食い違いが表面化していたわけです。
そしてアルバム<Bridge Over Troubled Water>発売後の1970年4月下旬から5月上旬のヨ−ロッパ・ツア−
この時は、もうポ−ルは説得するのをあきらめてア−ティの意見でツア−を行うことにし、<Bridge>のピアノだけを付けようと考えてラリ−・ネクテルだけがツア−に同行したのでした。
1981年9月19日、歴史的なセントラル・パ−ク、ここでまた同じ意見の食い違いが表面化します。ア−ティはポ−ルのアコギ1本でコンサ−トを...しかし、ポ−ルは既にソロとしての成功を後ろ盾に、自分の意見を通してバンド演奏を入れたコンサ−トとしたのでした。
そしてオ−プニングの<Mrs Robinson>、これは前述した1969年秋のツア−の第2部のオ−プニングでバンド演奏を入れた<Mrs Robinson>に繋がるわけです。
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