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MAKING RECORDS - The scenes behind the music
by Phil Ramone with Charles L. Granata, 2007, Hyperion
Track 18 Greetings from Central Park
Page 210-216
1981年、それはバーブラ・ストライザンドの野外ショーから14年後、ポー
ル・サイモンが、セントラル・パークでのコンサートを考えていることを話
し始めた。
その時までにポールは、ソロ・レコーディングとコンサート・アーチスト、
そして何度ものテレビ出演の成功を享受していた。その後彼の映画「ワント
リック・ポニー」に主演していた。セントラル・パークでの注目度の大きい
コンサートが、とりわけ多くの観衆の前に彼を見せることになり、大衆に彼
の社会的意識と気前の良さを強調することになるだろう。
「サタデイ・ナイト・ライブ」のプロデューサーであるローン・マイケルズ
はそのイベントをプロデュースし、テレビ放映用に編集する仕事を持ちかけ
てくれた。プロデューサーのロイ・ハリーと私が音響を監修し、アルバムを
共同製作することになった。
ポールがそのアイデアを話してくれてから、そんなに間をおかないうちに、
アート・ガーファンクルが参加すること、コンサートはサイモン&ガーファ
ンクルのショーとして宣伝されることを聞いた。このアイデアは魅力的なも
のだ。公園に集まる驚異的な数の聴衆に向かってプレイするだけでなく、何
百万人のもの人たちに向けてテレビ放映されるのだから。
お互いのソロ・レコードやショウに時々出演することから離れても、ポー
ル・サイモンとアート・ガーファンクルはフルのコンサートを一緒には何年
もやっていなかった。そして再会は危機的状況に満ちたものとなっていった。
世間によく知られたとおり、ポールとアートの関係は悪いものだった。彼ら
を個人的に知っている者にとっては、それは難問だった。子供の頃からの友
だったとはいえ、彼らは完璧に反対だった。わたしが知っている兄弟のなか
で、最も強烈に言い争うのだった。それでもハーモナイズすると、純粋な魔
法となった。
ハドソン・シアターでリハーサルを開始した。初日から流血が起こるかもし
れないとわたしは思った。最も基本的決定事項、すなわちショーのコンセプ
トについて言い争いとなった。
そのプログラムはソロ・コンサートとして着想されていたので、ポールは
アーティと共に、ポールのバンドを使うことを考えた。ポールは既にホーン
とリズム・アレンジメントを全曲に完成しており、そして彼とアーティがサ
イモン&ガーファンクルとして有名にした数々の歌にマッチしたものだった。
しかし、アーティはポールのバンドを使うことを不快に思った。曲目リスト
が出来たとき、アーティはブツブツと不平を漏らした。理由は、ポールがソ
ロのヒットを数曲唄うのに、アーティが一曲しかないからだった。また、リ
チャード・ティーが「明日に架ける橋」のピアノをオリジナルのレコードの
ように弾けるのかどうかを非常に気にしていた。アーティは「僕は、もうこ
んなの止めて、昔の僕らのように、ギターと二人のボーカル、が良いのだと
思う。」と言った。
わたしは賛成しなかった。「進歩は進歩ですよ」「あなた達は、4〜5曲は
昔のようにギターと声だけで古い曲をやるチャンスはあります。でも、お二
人は「明日に架ける橋」を本格的アレンジでやるべきです」とわたしは言っ
た。
最終的に妥協点にたどり着いた。彼らはバンドを使い、しかし、数曲はクラ
シック・サイモン&ガーファンクル・スタイルで唄う。しかしリハーサルの
おわりまでいさかいが続いた。そのほとんどはつまらぬもので、何故始まっ
たかを覚えていないくらいだった。その週、誰もがコンサートが中止になる
と思う瞬間が何度もあった。
ポールとアーティだけが問題ではなかった。
ショーの数日前、テレビの中継放送トラックが、セントラル・パーク内の橋
の一つで立ち往生し、トラックの屋根を剥がすことなく通過させるためには
タイヤの空気を抜く必要があった。
<中略>
ドレス・リハーサルの日が遂にやってきた。2日間に渡って地面を濡らした
雨が止み、天候は翌日のショーを保証してくれるようだった。わたしたちの
リハーサルと音響チェックは予定通り6時に始まった。
アーティが到着したとき、周りを見回して彼が言った「カメラが入るなんて
話してくれなかったじゃないか。」わたしはショックだった。「このショー
がテレビ放映されるのは承知済みのはずでしょう。だからドレス・リハーサ
ルと音響チェックには通常のとおりカメラが入るんです」とわたしは彼に注
意を促した。
「髪の毛も良くないし、カメラ向けの衣装を着ていない!」とアーティは言
ったが、彼のジーンズとシャツは、リハーサルには適当だと見えた。しかし、
アーティはもっと上等なものが必要だと感じたようだ。
彼はいなくなった。
音響チェックを行う時間は午後9時までしかなかった。ニューヨーク市の公
園管理部長のゴードン・デービスは、終了時刻については譲る気がなかった。
音響チェックはアーティ無しに始めることになった。そして彼が戻ってきた
とき、ましな服装とこざっぱりした髪をしていたが、ほとんど終了だった。
9時になると、管理部長のデービスは「外側PAのスイッチを切ってほし
い」と言い出した。私たちは、ステージ・モニター以外のアンプのスイッチ
をきった。「聞こえないよ」とアーティは不平を漏らした。
「あなたたちは、ステージで聞こえるだけの音でライブをやるんです」とわ
たしは言った。「いずれにせよ、明日は観客がそそり立つのも聞こえないん
ですよ。劇場で演奏するのとは違います。」
リハーサルを終了させると、警察官が一人、わたしに寄ってきて言った。
「音圧計でデシベル値を測定したんだが、そんなに高くないですね。」「も
しも演奏中に85デシベルを超えたら、公演中止ですからね。」
わたしはタワーとディレイを備えたアンプ・システムを設計したことがあっ
て、良い音を、大きい音を、出したものだ。「なんてことだ」って思った。
ピークの時は100デシベルを超える、間違いない。
いつもは冷静なわたしだが、猛烈な勢いで管理部長に迫った「これはニュー
ヨーク・フィルハーニー交響楽団ではないし、でもレッド・ツェッペリンで
もないんですよ。サイモン&ガーファンクルは柔らかな甘い声なんです。ち
ょっとだけボリュームを上げなきゃ」
管理部長は見解を変えようとはしなかった。
ショーの2日前からファンが公園内でキャンプを始めた。彼らは雨を堪え忍
び、疲れ果てていた。1967年頃のストライサンドの時を思い出した。私は言
った「この人たちの何人かは数日間ここにいるんですよ。明日のコンサート
が聞こえないんだったら、きっと暴動になりますよ」彼は「暴動になるって、
あなた(フィル)に何故わかるんです」と尋ねた。私は「あのね。グレー
ト・ローン(大芝生)を大勢が埋め尽くすんです。その聴衆が、もし、コン
サートをちゃんと聴けなかったら、とてつもなく不機嫌になるでしょ!」
その次の日の午後までに、セントラル・パークは人々で埋め尽くされた。シ
ョー・タイムが少しずつ迫るにつれて、警官がメーター片手に会場を歩き回
るのが見えた。おもしろかったので、舞台裏に行き、ポールに管理部長の命
令とメーターを持った警官について注意した。
ポールは言葉少なかったが、彼が考えているのが分かった。
予定通りに開始することが最優先だった。テレビ・ディレクターのマイケ
ル・リンゼイホッグが、空が夕暮れから暗闇へ変遷する絵を撮りたがってい
たからだ。わたしたちは聴衆を1時間ほど待たせていた。エド・コッチ市長
が登場して「レディス・アンド・ジェントルメン! サイモン&ガーファン
クルです!」とアナウンスすると、会場は興奮のるつぼとなった。
アーティとポールが飛び出し、最初の2曲を歌った。「早く家へ帰りたい」
の最後に彼は聴衆の反応をみていた。「近所でコンサートやるのは最高です
ね!」と、まるでコーヒー・ハウスでライブをするときのように言い「聞こ
えますか?」と聞いた。
「ノー」と聴衆から叫び声が上がり、
「音を上げてよ、フィル」とポールが叫んだ。
わたしは心からの笑顔となり、公園管理部長は、はらわたがが煮えくりかえ
った。市長と聴衆がわたしの味方だったので、管理部長はボリュームを下げ
ろと命令する方法が無かった。
料理のテーブルの近くに聴衆を立ち入らせないフェンスが出来ていて、けっ
こう貧弱なのに気が付いた。近くの警察官に尋ねてみた「あれでどうやって
人をストップするのでしょうか?もしも彼らが食料めがけて押し寄せた
ら?」すると警察官は「心配要りませんよ。もしも群衆が行儀良くしている
限り、あなたの邪魔はしません」
そんな答えを聞きたい訳じゃなかった。
「もしも行儀良くなかったらどうなんだ?」と尋ねてみた。
警官は首をかしげながら、「向こうに池があるでしょう、デルコート・シア
ターの裏に。変な魚とゴミで一杯なんですけどね。群衆が押し寄せてきたら、
わたしに続いてください。池に飛び込むんですよ、すぐにね」
わたしの恐れは根拠の無いものだった。聴衆の行儀良さは非難の余地が無か
った。
帰り支度をしていると、あの警察官が寄ってきて言った「幸運だね。ショー
の間は何の問題もありませんでしたよ。強盗もなし、喧嘩もなし、話題にす
るような緊急事態は何も無し」
コンサート後の雰囲気には全く驚かされた。舞台裏へ行こうとしても、通路
はみな混雑していた。今まで見たことのない光景だった:人々はろうそくの
灯火を持ち、大きなラジカセで、たった今コンサート中に録音したカセッ
ト・テープを再生していた。聞こえてくるのは鳴り響くサイモン&ガーファ
ンクルの音楽だけ、どこを向いても同じだった。
ダウンタウンでのささやかな打ち上げパーティで、わたしはポールとアーテ
ィを注視した。
その夜、彼らは、音楽を書いたり演奏したりプロデュースするものが願って
いることをやってのけた。すなわち聴衆を圧倒したのだ。二人は、週の間中
ケンカを繰り返していたが、ほんの短い間協同し、今はまた、部屋の反対の
隅でそれぞれのゲストに応対している。わたしは考えた「ポール・サイモン
とアート・ガーファンクルは分かれてしまったのかもしれないが、彼らは常
に信じがたいほど融け合うハーモニーで結ばれているんだ」と。
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