|
ampmさん、イッシーです、お久しぶりです。
実は僕も、中山氏とほとんど同様の仮説を持っていました。
理由は「はりきっていこう」と「どこにもいないよ」が、1965年4月5日にニューヨークでレコーディングされていたことです。
つまり「サウンド・オブ・サイレンス伝説」以前に、S&Gはすでにエレキバンドをつけたロックスタイルを目指していたからです。
この2曲じゃシングルヒットは望めないとの判断からおクラ入りとなり、SOSのエレキ化に進んだとの推理は、僕も中山氏と同じ仮説を立てています。
ポール・サイモン・サイドから言うと、これは屈辱だったと思います。ポールはこの悔しさをばねに「アイ・アム・ア・ロック」を書き下ろしたと僕は信じています。6月にはロンドンで「ソングブック」をレコーディングしていますから、4月5日から日を置かずに書かれたと思います。そしてこの後「早く家に帰りたい」や「リチャード・コリー」など名曲を立て続けに書き下ろしますので、4月5日の悔しさはポールにとって大きな転機になったと思います。
「はりきって」「どこにも」の2曲がおクラ入りになった理由については、ヒット性不足以外に僕は次のことを考えています。
それは、この2曲が新しいフォーク・ロックではなく、古いロックンロール、いわばトム&ジェリースタイルだったからです。
この2曲はリズムがフォービート寄りで、若干シャッフルしています。この時代にはエイトビートが台頭していて、フォービートは過去のリズムでした。
つまりこの2曲は、新時代に売り出すには古臭かったのだと思います。それがボツになった理由と思います。
「SOS」のメンバーのなぞ解きで、「バディ・サルツマン(ドラムス)」という記述があります(p92)。
これはもしかしたら、最近のツアー・ギタリスト、ラリー・ソーツマンの身内じゃないでしょうか?!
たいへん興味をかきたてられました。
なお、巻末の年表にミスがあります。p212「1965年3月10日 S&Gが水曜の朝を録音」とありますが、これは前年1964年の間違いです。
僕は、たいへん共感をもってこの本を読みました。
|
|