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▼Dsus4さんの投稿:
>ポールがそう認識していたということは、ロス・インカスの人達も
>作曲者のことは知らんかったんでしょうか?
>
Dsus4さんのご推察のとおり、ロス・インカス自身がロブレス作曲ということを意識していなかった可能性があります。
週刊FM、1974年4月29日号P72-75に「特別インタヴュー 加藤登紀子×ウルバンバ」というインタビュー記事があり、加藤登紀子にウルバンバ(主としてホルヘ・ミルチベルグ)が答えています。そのなかから少し関連部分を引用します:
加藤: そうですか!ずいぶん歴史があるんですね。ところで、まず伺いたいのは「コンドルは飛んで行く」についてなのですが、この曲はふるくからあって、アルゼンチンの人々がよく歌っていた歌なのでしょうか。
ウルバンバ: はい、昔のインカ帝国の王室の音楽だったんです。歌うには、ケチュア語で歌っていたようです。
加藤: するとポール・サイモンはケチュア語で歌われているものを翻訳したのですか、それとも新しく作詞したものなのでしょうか。
ウルバンバ: 新しく作ったのです。
私たちは1965年にポール・サイモンがパリに来たときに共演しました。そのとき、私たちがやっていた音楽、つまり「コンドルは飛んで行く」をポールはたいへん気に入って、「この曲はレコードになっているのか」とたずねたんですよ。私たちはロス・インカスとして2年前にレコーディングしていたので、そのレコードを彼に渡しました。
そのあと、ポールはアメリカへ帰りガーファンクルとデュエットした「サウンド・オブ・サイレンス」などでがらっと人気が出たんです。そして、「コンドルは飛んで行く」をレコーディングする権利をくれといってきて、その後できあがったのが、あのレコードだったのです。
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