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ペニー・マーシャルの視点による81CP
 ようこ E-MAIL  - 15/9/10(木) 23:12 -

引用なし
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   オフ会から早くも1週間が経とうとしておりますね。
「今年は面白Tシャツ着ていないんですか?」と聞かれて、覚えていて頂いて嬉しい様な、すごく恥ずかしいような(客観的に見ればたいへん恥ずかしいことです^^;)。

あれから勢いづいてしまいまして、パンフに投稿したペニーの本より、81CPに関する記述を試訳させて頂きます。長くなります。すみません。

ちょっと日付その他の間違いなどもありますけど、(特に非音楽関係者で、近い関係者からの)貴重な視点・記述だと思います。
楽しんでいただけたり、ちょっとお役に立てたりしたら嬉しいです。
====
 ポールとアーティはセントラルパークで無料の再結成コンサートをすることになった。1975年にサタディ・ナイト・ライブで2曲を歌った以外、1972年のコンサート以降は一緒に演奏したことはなかった。まあ、ポールのアパートメントで、私が彼らに歌うように頼んだあの夜のことはあったけど。ひょっとしたらあれが彼らの再結成の一因かも。わからないけど。なんにせよ、絶対に見逃すつもりはなかった。私はラバーン&シャーリー(ペニーの出世作のシットコムドラマ)のプロデューサーに、コンサートを見たいし、少なくとも1週間はそこで過ごして準備をするから、9月前半の出番は軽くしてと頼んだ。
 その時までには、私はゴアのところを離れて、ベルエア地区のトミー・チョンの家を借りていた。広々としていて風通しがよく、なにより友人のテッド・ベッセルの向かいだった。彼は私にコンサートを楽しむよう言ってくれた。妬まれるような夜だった。何を演奏し、バックバンドを誰にするかについて男たち二人が数ヶ月話し合い、その後リハーサルする間、私はキャリーとぶらぶらして過ごした。コンサートは1981年9月21日(原文ママ)だった。警察のエスコート付でパークを通り抜け、直接ステージに行った。そこからは50万人以上と思われる群衆が見えた。目の届く限り人の海だった。
 二人ともピリピリしていた。ポールはアーティにヘアピースを着けさせたが、アーティはそれが嫌だった。キャリーと私が見ていたステージ袖からは、ポールとアーティがお互い見つめ合う姿は一度も見えなかった。でもそれらはコンサートに影響しない些細なことだった。彼らのサウンドは最高だった。全部で20曲を演奏し、『ミセス・ロビンソン』の最初の一音から、最後の曲の『サウンド・オブ・サイレンス』の終わりのリフレインまで、私はぞくぞくしっぱなしだった。誰もがそうだった。
 アーティを除いては。全てが終わって、別々のリンカーンに乗り込んだ。ポールとキャリーは3ブロック離れたセントラル・パーク・ウェストのポールの住まいに、アーティと私は5番街のアーティのビルに向かっていた。アーティは何にでも等級をつけるのが好きだった。Aマイナスの旅行、Bプラスの食事、それやこれや。どうしようもないくらい分析癖があって自己批判的だった。車の中で、パフォーマンスをどう思ったか尋ねてみた。彼は少しの間考えるとこう言った。「Cマイナス」
 私は言った。「あなたはどうかしてる。素晴らしかったわ。観客は皆、パークから出て行く今も歌を歌っているの」ここで窓を下げた。「歌が聞こえる?聞いてないの?皆、大好きなのよ!」
"My Mother Was Nuts" Chapter30 Old Friendsより
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ペニー・マーシャルの視点による81CP ようこ 15/9/10(木) 23:12

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