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この本、おもしろいです。amazon.jpで買えました。
抜粋して紹介します。
Making Records - The scenes behind the music
by Phil Ramone with Charles L. Granata, 2007, Hyperion
Track14 p160
ポール・サイモンと初めて会った日を決して忘れない。
最初の共同作業は1972年のことで、ポールのヒット「僕とフリオと校庭で」
であった。ポールは最初のソロアルバム「ポール・サイモン」を製作中で,
わたしはセッションのエンジニアをしてくれと依頼されたのだった − ポー
ルの長年のエンジニアでありプロデューサーのロイ・ハリーが参加できない
という理由で。
ある日の午後,わたしのスタジオの電話が鳴った。
「こちらはポール・サイモンです」と向こう側の声がいう。
「そうだろうね」とわたしは答えた。エンジニアの誰かが,からかっている
んだろうと思ってのことだ。
「いや,本当にポール・サイモンです」と相手は言う。「あなたが優れたエ
ンジニアだと聞きました。いま,ソロの仕事に取り組んでいるんですけど,
一曲あなたと仕事が出来たら良いと思っています」
その頃,ロイ・ハリーはコロンビア・レコードで最も進歩的なプロデュー
サーで,わたしは彼を尊敬していた。
サイモン&ガーファンクルの「ブックエンド」や「明日に架ける橋」は高い
音楽性と技術的な水準を反映していた。両者ともわたしに製作の可能性を見
開かせてくれた。
<中略>
ギタリストのデビッド・スピノザがリハーサルしていた時,ソリッド・ボデ
ィのエレキギターをアンプをオフにして弾いていた。彼のピックが打楽器的
なチャカ・チャカ音を出すのにわたしは気がついた。調性も無いし,小さな
音だったが,好きな音だった。わたしは,アンプを入れる代わりに,マイク
ロフォンをデビッドのギターの前に直接置いてみた。
ポールはバンドに合わせて「僕とフリオ」を通しでやってみた。わたしは
テープを回した。ポールのアコースティック・ギターとデビッドのギター奇
妙なリズム音の組み合わせが新たに打楽器的な音を作り出した。録音を再生
してみると,ポールは「これは気に入った」と言い,わたしはポールに喜ん
でもらったことに感激した。そして,彼のレコードのひとつに新鮮な音をも
たらす何かに偶然出会えたことに感謝した。
わたしのスタジオで,また,ポール会えるかどうか,その時は,わからなか
った。
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