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▼PINOさんの投稿:
>マリファナを吸いながら車を運転することが、世間の常識から見て悪いという理由で、アートの行為を批判しているわけではありません。それならば、「法律で罰を受ければいいじゃないか」という理屈に私も乗ってしまうことができます。
ご丁寧に、有難うございます。ひとくちにファンといっても、本当に様々な多様な思い入れがあるんだなと改めて実感しています。Pinoさんの主張は何ら間違っていないですよ。それは、前にも書いたとうりです。
>ひろみつさんが紹介してくださった記事で彼は一時停止をしなかったとあります。
>つまり制止されなければ、そのまま先を走っていたことになります。
あ、記事を紹介したのは僕じゃないですよ。
>しかしマリファナを吸引しながらの運転は、飲酒運転に近いものではないでしょうか。これを彼は2回行ったことになります。
そのこと自体は、僕も彼は軽率だったと思ってますし、そういう趣旨のことも書いています。
>ひとつ間違えば、人に損傷を与える可能性があるとわかっていることを繰り返し行った彼の心理はどういうものだったのか、知りたいところです。他人の体や命への想像力が働いていたのでしょうか。
それは当人しか、わからないことでしょうね。ご指摘どうり、下手すれば人命を奪いかねない事態になる可能性もないわけじゃかったわけですから、その点はアートも猛省してほしいし、人としてちゃんと罰を受け、責任をまっとうしてほしいです。
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>ひろみつさんは、「芸術家が小さくまとまってほしくない。いい作品を提供してもらえるなら、常識の枠からはずれた行為も大目に見ようじゃないか」と考えておられるのでしょうか。そういう意見が世間で少なからず行われていることも知らないわけではないのですが、私は違和感を覚えます。
Pinoさんの感じておられる違和感も、しごく自然なことであって、僕は尊重しますよ。前の僕の書き込みをもう一度、よく読んでいただければわかっていただけると思いますが、芸術家だから少々のことがあっても大目に見ろよなんてことは、ひとことも言ってません。記事によると、3度目があった場合は、逮捕され15日間刑務所に入らなければならないそうです。
万が一、3度目があったら、潔くオツトメしていただきたいと思います。それこそ、社会に暮らしてるわけですから。人としての責任はとるべきだと思います。僕が言いたいのは、それはそれとして彼の作り出しだしてきた音楽の価値は、何ら変わらないということです。それはそれ、これはこれだと言いたいだけなんです。スーパースターは何をやってもお構いなしでいいじゃんなんてことは思っていません。
>創造のプロセスは、芸術家それぞれの内なるものであって、私たちにはとうてい計り知れないものですが、少なくとも、マリファナに頼らなければ作品を生み出せない才能とはどのようなものかを考えてしまいます。
俳優や音楽家には、古今東西、アル中、ドラッグ中毒が確かに非常に多いですね。作品を生み出すのにドラッグを使用することが、どんな効果があるのか、ないのか、それは我々がいくら考えても、推測の域を出ないもので、わかりません。誰にもわからないと思います。その是非をあれこれ言うのも、あまり意味がないように思います。
ただ、その話で思い出すのは、「Round Midnight」だったか「Bird」だったか忘れましたが、どちらもジャズミュージシャンの映画でした。その中で、こんな台詞があります。ジャズミュージシャンは毎晩クラブで演奏するわけですが、彼らは言ってみれば毎晩、客の前でアドリブという名の作曲をやってるようなものです。それをして、登場人物がこう言うんです。「音楽を生み出すということは、それがどんなに美しい物でも、死ぬ苦しみなんだ」。もしかすると、その苦しみを和らげるためなのかなと思うことはあります。もちろん、これとて僕の推測にすぎません。音感が敏感になるとか聞いたことはありますが実際はどうなんでしょうね?
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>サイモンも一時期Jと呼ばれるものに頼ってたらしいですね。どのようなプロセスで生まれてこようと、本当にすぐれた作品であるなら、その作品の価値は変わることなく、人に愛されると思います。「内なる狂気」がなければ、生まれなかった
>文学の古典もいっぱいありますから。
このご意見は、まったく同感です。僕が芸術行為で、思い出す文章があります。むのたけじというジャーナリストの文章で、長くなるので、かいつまんで言うと、芸術は既成の権威に弓を引くことから始まる。権威を肯定し、現状に甘んじたら芸術なんて生まれはしない。芸術は既成秩序から自分をはみ出させる狂気で、それが何であれ狂気の花、果実だ。鑑賞者は、作者に同調しながら自分自身の内なる狂気を満足させようとする・・・・・。
まだ先があるんですが、凝縮すればそういうことです。アートの行為が、この文章にあてはまるかどうかは意見が分かれるでしょうけど、例えば、これがポールであっても同じことで、こういう天才達は、ずば抜けて優れた才能を持つ一方で、スコ〜ンと抜け落ちた部分があるものではないかと思います。僕らが、それをどう思うかは脇へ置くとして、当人は無意識のうちに、そうやって精神のバランスを取ってるのかなと思うこともあります。
>むつかしいのは、アートも含めて、私たちが一般の社会に生きているということです。彼は音楽家でありますが、市民でもあります。
確かに判断の難しいところですね。というか、芸術、文化、娯楽へのその国の国民の民度の高低によって、その基準は変わってくると思います。
>だからこそ、Citizen Of The Planetをサイモンとともに歌ったのではありませんか。「この地球に生まれ、そして死んでいく。何があろうと、地球の財産に生来の権利がある。何人もこれを否定されてはならない」と。このふたつの側面のバランをとることは、芸術家にとってはむつかしいことなのでしょうが、そのむつかしいことをアートにはやってほしいと思います。
お気持ちはよくわかりますが、ファンがそれをしてほしいと要求するのは酷ではないかと思います。難しいと思いますよ。そのバランスを取るといううことは、僕らが想像を遥かに超える難事だと思います。何度も言いますが、法は法です。スーパースターだろうが何だろうが、それに触れればキチンと責任は取るべきです。しかし、それはそれとして、僕はどこか一つ、裏切らない、嘘のない部分があれば、ドラッグやってようが、アル中だろうが信じられますし、ポールとアートの音楽を愛し続けます。そんな柔な気持ちで僕は二人の音楽とつきあっていません(笑)他のみなさんもそうだと思うし、Pinoさんもそうでしょ?
もし、僕が二人を許せないことがあるとしたら(まあ、そんなことはないでしょうが)、万一、二人が戦争を賛美したり、煽るような歌を歌ったり作ったら、それは許しませんよ。徹底的に叩きます。といっても、世界の隅っこに住んでる一ファンがこんなこと言ってもしょうがないとは思いますが。
7th Avenueさんも言われてましたが、今度のことは僕には想定内のことです。ただし、くどいようですが人としてのアメリカ市民としての責任はまっとうするべきだと思います。
でも、一連のコメントを拝見してて、こうもりさんのシンプルなコメントが一番、共感できたかもしれません。ホント、そんなもん、やってる暇あったらアルバム作れと僕も言いたいです。しっかりせ〜よ!と。すごい実感のこもったコメントだったなと思います。
僕こそ、長くなりすいません。Pinoさんの真摯なコメント、すごく嬉しかったし多様な意見が聞けるのは、視野も広がるし、とても僕には有益です。僕のコメントもPinoさんにとって、そうだといいのですが。
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