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>1964年4月、ポールが渡英を決心した理由...
私の私見を書きます...
この話( 事件 )を知らずして ポール・サイモンを語らないで欲しいと思っています。
ポ−ルは、昔あるインタビュ−記事で ” あなたは何故 英国に来たのですか? ” と聞かれてひと言だけ ” ディランが居るからです ” と答えました...何て 痛々しいんだと思って読みました...
イッシ−さんが書かれている通り...
ポ−ル・サイモンの曲作りには 1964年3月31日のガーズ・フォーク・シティでの事件がいろいろな場面で見え隠れします。
( 例えば ”簡単で散漫な演説 ”、この曲でポールが一番言いたかったのは 名指しでディランを語ってるところです )
では何故 この事件が周知されなかったのか?
サイモン&ガーファンクルとディランは同じレコ−ド会社でしたので どうでもいい音楽評論家達がコロムビアに忖度して書く事をさけていたか?全く知らなかったのか?だと ずっと思っていました。
例え知っていたとしてもフォ−クの神様のネガティブな一面など恐ろしくて書けなかったのでしょうか?どこかの国の音楽事務所といっしょです。
最近話題の ” ポール・サイモン全詞集を読む ”
この本の筆者が、もしこの事件を知っていたら 随分内容が変わっていただろうと容易に想像できます。
この本が届いた時 BPさんに 少し読んですぐに読むのやめましたと伝えたのはその為でした。
1999年のディランとのツア−には 飛び上がる程 ビックリしました...えっ何故? と思いましたネ...これは ポールの方から誘った?可能性もあるのでしょうか?何か 下心があったのかも知れません。
根に持つタイプのポールですからwww
ポ−ルが書いた名曲の数々にはこうした背景があった事を知っておいて戴きたく ぐだぐだ書いてしまいました。
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