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ロイ・ハリー Part2 第2回 こうもり 06/2/3(金) 10:17
┗ Re:ロイ・ハリー Part2 第2回 ひろみつ 06/2/4(土) 11:17

ロイ・ハリー Part2 第2回
 こうもり E-MAILWEB  - 06/2/3(金) 10:17 -

引用なし
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   ロイの行動、そろそろ詳しくわからない時期にはいってきました。
コロンビアを辞めたのは1975年であってるのか、よくわかりません・・・。
-------------------------------------------------------------------

マイケル:
巨大な成功を収めた2枚のレコードについて話す前に、ザ・バーズのことを話しましょうか。

ロイ:
ポール、アーティと一緒に、短期間ロサンゼルスにいた。そこであのリズム・セクションの面々とやったんだ。ハル・ブレイン(ドラムス)、ジョー・オズボーン(ベース)、ラリー・ネクテル(キーボード)、彼らは何でもできる、最高の連中だ。とくにハル・ブレインはポップス・レコード史上最高のドラマーだ。

その時、何かのきっかけでゲイリー・アッシャー(バーズのプロデュース以前にはビーチボーイズの共作者として有名。:訳注)が例の8トラック2台の録音をザ・バーズ</a>のためにやってくれないかといってきた。当時そんなことができるのは私だけだったから。それで『The Notorious Byrd Brothers 』と『Sweetheart Of The Rodeo 』を手がけたんだ。それまでのバーズ作品はレイ・ガーハート(カーペンターズのエンジニアとしても有名:訳注)だね。偉大なエンジニアだ。

マイケル:
他には誰を手がけたんですか?

ロイ:
ローラ・ニーロだ。『New York Tenderberry』を手がけた。またしても実験的な録音に燃えることになったが(えらく大げさな言い方です:訳者白)、それはローラがバンドと一緒ではうまく演奏できなかったためだ。スタジオの精密な雰囲気の中では、いい演奏にならなかった。ライブでは信じられないくらい素晴らしいのにね。ピアノの前に座り、ライトを消して、かわりにキャンドルなんかを灯してやれば、信じられないような演奏をする。それはカーネギー・ホールで証明されたね。向こう一年のチケットが完売して、いつも嵐のような歓声を浴びていた。彼女には誰も抵抗できないくらいの、信仰を超えた磁力のような魅力があった。

ローラのライブから録音するためにバンドを連れて行くと、何回もカットし直さなければならない。そこで彼女とピアノだけでたっぷり演奏させて、あとからバンドをオーバーダビングすることを思いついた。これをクリック音なしでやったんだ。おかげでピアノとボーカルは最高の演奏を収録することができた。

(クリック音は録音のテンポを一定にするための電子音。これを聴きながら演奏することで、あとから楽器やボーカルをオーバーダビングする時にテンポを合わせることができる。:訳注)

マイケル:
それで、他には誰を手がけたんですか?

ロイ:
ブラッド・スウェット&ティアーズ(シカゴなどと並ぶブラス・ロックバンド。初期メンバーにアル・クーパーやランディ・ブレッカーがいる。:訳注)、ピーチズ・アンド・ハーブなんかの、いろんなR&B、それにジャズの作品だね。
デイヴ・クラーク・ファイブや、ザ・ヤードバーズもやった。『I'm A Man』をカットしたよ。(ザ・ヤードバーズ、1965年。歴代メンバーにエリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジがいる、ロック史上大変重要なバンド。シングル盤『I'm A Man』はクラプトン脱退後と思われる。:訳注)

マイケル:
のちにコロンビアを辞めたんですね。

ロイ:
コロンビアを辞めて、A&Rスタジオに行った。フィル・ラモーンが誘ってくれたんだ。ミッチ・ライダーとフランキー・ヴァリのセッションを、ボブ・クルーと一緒に手がけた。(1975年頃?:訳注)またコロンビアの古い799スタジオに戻ってね。フィルがそこで素晴らしい作品を作っていた。
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Re:ロイ・ハリー Part2 第2回
 ひろみつ E-MAIL  - 06/2/4(土) 11:17 -

引用なし
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   ▼こうもりさんの投稿:
>ロイの行動、そろそろ詳しくわからない時期にはいってきました。
>コロンビアを辞めたのは1975年であってるのか、よくわかりません・・・。
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>マイケル:
>巨大な成功を収めた2枚のレコードについて話す前に、ザ・バーズのことを話しましょうか。
>
>ロイ:
>ポール、アーティと一緒に、短期間ロサンゼルスにいた。そこであのリズム・セクションの面々とやったんだ。ハル・ブレイン(ドラムス)、ジョー・オズボーン(ベース)、ラリー・ネクテル(キーボード)、彼らは何でもできる、最高の連中だ。とくにハル・ブレインはポップス・レコード史上最高のドラマーだ。

「明日に架ける橋」の要になった3人ですね。3人とも、このアルバムで
歴史に残る大仕事をやったんだなと思います。確かベースのジョーオズボーンは
タイトル曲で、低いパートと高いパートを別々に録ったらしいですね。
そのへんのプロセスなんかも知りたいです。

この3人がいたこともあって、アルバムはどっちかっていうとウェストコースト風のサウンドになったのかな・・・・。
NYの匂いがするS&GはBookendで終わりというか、厳密に言えばBookendだけと言ってもいいような気がします。

S&G以外では、おそらく誰も知らないと思うけどイギリスのFantastic Somethingというデュオのアルバムのプロデュースか、エンジニアもロイハリーがやってます。僕持ってるんですが、S&Gがいまのデュオだったらこんなことやってたのかなと思うような感じで、ハーモニーなんか、けっこう彷彿とさせる部分があります。

しかし、こうもりさん、毎度毎度労作ご苦労様です。夜ちゃんと寝てますか(笑)先日、夕方起きたとか書いてたので大丈夫かいなと思ってました。
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