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ブラジルでのレコーディングは官僚的な役所仕事の壁が悪夢のように次々と立ちはだかりました。
ミルトン・ナシメントのレコードプロデューサー、マルコ・マッツォーラの多大な協力と仲介役がなければ、その多くを克服するのは不可能だったでしょう。マッツォーラは、ポールとフィル・ラモーン( ロイ・ハリーの代役 )のためにスタジオでの時間を予約しただけでなく、地元のミュージシャンも招集してくれました。
数日後、ポールはもっと話を聞きたいと熱望し、マッツォーラは彼をサルバドール市に連れて行き、そこでこの地域の数々の世界遺産を讃え、人種差別や経済抑圧と戦うことを目的とした文化集団 オロドゥムの話を聞きました。( この地の歴史を振り返れば 300年以上に渡りポルトガルに植民地支配されていたわけで...オロドゥムは単なる観光客を集める為の音楽集団ではないのです、彼らの祖先はおそらく西アフリカから強制的に連れて来られた 黒人奴隷に違いありません )
ラモーンは回想録の中で、オロドゥムがポールとの協力を熱望していたのは、彼らの指導者たちがこのつながりによってグループが世界的に注目が集まることを望んでいたからだと書いています。
セッションはサルバドール旧市街の歴史的なペロウリーニョ広場で開催され、中庭の壁は明るい白に塗られていました。パフォーマンスを録音するために、ラモーンはポータブル機器をレンタルし、電柱にマイクを吊り下げ、テープが回り始めると、グループのメンバーは広場を練り歩きながら、素晴らしいエネルギーと精神をドラム演奏に注ぎ込みました。
帰国する飛行機の中で、ポールは、やがて「The Rhythm Of The Saints」というタイトルになる新作アルバムに持てる時間のすべてを捧げることに決めたのでした...
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