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ピ−タ−・バラカンさんの事。私の実家は神田でとんかつ屋を営んでいる。大学を出た私は就職するつもりも無くなんとなく実家のお店を手伝っていた、近くにミュ−ジック・ライフや海外のア−ティストの楽譜などを取り扱っていた新興楽譜出版社があった。その会社の社員の方々が昼食時に良くお店を利用してくれていた。その中に当時英国から来てその出版社で働き出したばかりのピ−タ−・バラカンさんが居たのだ。その頃の私は、サイモンとガ−ファンクルのファン・クラブを主宰しておりお店の壁にポスタ−を貼っていた、それを見たピ−タ−さんが流暢な日本語で<私もポ−ル・サイモンのファンですよ>と話しかけてきた。<類まれなる才能を持った人ですね>と話ていたのが、印象的だった。1974年、ポ−ル・サイモンが初来日した頃である。その後ピ−タ−さんは1984年TBS-TVで放映が始まった<ポッパ−ズ・MTV>という音楽ビデオクリップ番組の司会を担当する事になり、ポ−ルの<You Can Call Me Al>の2種類のビデオ・クリップを好意的なコメントと共に紹介してくれていた。先日読んだ月刊Playboy7月号のピ−タ−さんの話を読んでいて、ふと思い出したことである。
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