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マイケル:
ポールとまた仕事をし始めたのはいつだったんですか?
ロイ:
私はアーティと、私の大好きな作曲家のジミー・ウェッブと一緒に、素晴らしいプロジェクトを始めていてね。彼らは「アニマルズ・クリスマス」(1986年)というアルバムを作っていた。売れそうになかったけど、当時最新のデジタル技術を取り入れようと考えていた。クラシック風だったし、素晴らしいものになるはずだった。ロンドン交響楽団と録音していた。けれど事情があって、私は途中で抜けたんだ。
同じ頃、ポールから電話が来てね。セントラルパーク・コンサートのあとだった。
(ロイがしているのは、「アニマルズ・クリスマス」の製作が始まった1982年頃の話。:訳注)
マイケル:
素晴らしいサウンドでした。
ロイ:
素晴らしい催しだったね。1テイクで、一度きりのショウで、野外で、寒い日だったが、バンドは修正の必要がなかった。バンドの録り直しはしていないんだ。しかしアート・ガーファンクルは何曲かのボーカルを録り直したね。もともとはビデオ化だけの予定だった。我々はリズム・オブ・ザ・セインツのツアーのときも同じことをやった。ポールがあちこち間違えていたので、きちんと直す必要があったが、先にビデオがどんな出来かを観るまで待たなければならなかった。この年の暮れ、ブラジルでのショウを撮影する計画があったんだ。
マイケル:
ツアーではポールとずっと一緒だったんですか?
ロイ:
リハーサルの準備からはじめて、ツアーには最初の2週間だけ一緒に行った。その後はチームがうまく動き始めたから、私は必要なかった。
マイケル:
話を元に戻しましょうか。
ロイ:
ああ、アート・ガーファンクルの作品のことと、どうやってグレイスランドに参加したか、だったね。これもデジタルの話が関係している。
イギリスのCTI(英国のジャズなどのレーベル:訳注)のスタジオに行ってね。そこでのオーケストラの録音のやり方は、すごかった。CTIのスタジオはウェンブリーの近くにある大きな建物で、「アラビアのロレンス」の音楽だとか、挙げるときりがないほどいろいろな音楽を制作している。彼らはオーケストラをステージで演奏する時とまったく違った配置にするんだ。金管楽器を前に、弦楽器を後ろに、とにかく奇妙な配置だ。
それで、デジタルとアナログと両方で録音してみたんだ。3M(磁気テープや放送用ビデオ機材の世界的メーカー:訳注)のデジタル録音機があって、ソニーのものより音が良かった。
(ソニーのPCM多重録音機にはかの有名なPCM-3324、3348などがあり、今も現役。Making Of Gracelandでコンソールに座るポールに向かって右手奥に一部みえるのが、PCM-3348。その左に2台並んだ、幅広のテープがかかっているのがStuder A827という24トラックアナログ録音の名機。こちらも米国を中心に現役。:訳注)
その録音テープを持ち帰って比べて、アナログの方が断然良かった。比べ物にならないくらい。デジタルの方は、Studerと比較するのも恐ろしいほどの違いだった。信じられないほど違っていた。あれは決して忘れられない。でも私は「デジタルでやってみよう」と言ったんだ。
マイケル:
なぜですか?
ロイ:
新しい技術だからさ。私はいつでも「試しにやってみよう」と言っていた。しかしデジタルにした結果、サンプリング・レートがあまりに低すぎ、凡庸なサウンドになってしまったことを、認めざるをえなかった。ボブ・ファイン(「Mercury Living Presence」シリーズで知られる:原注)は20年前にはサンプリング・レートが低すぎた、と言っていたが、今でも低すぎる。テレビで言うならハイビジョンではないんだ。粗いのさ。だけど逃げ出していたら、それ以上良くならない。それでそのままデジタルで進めたんだ。
編集ツールとしてなら、デジタルは凄い。デジタル技術がなければ、ポールのあの2枚のアルバムは作れなかっただろう。できたかもしれないが、もっともっと苦労しただろうね。アナログで何世代もコピーしながら編集するわけだから。
(当時のデジタル録音のサンプリング・レートは、大体現在のCD音質にあたる、44.1kHz〜48kHzで、レコードの音源としては低すぎる。Studerなどの成熟したアナログ録音機と比べると音質的に比較にならない、というのは大げさではなく妥当な見解。アナログ音声信号はその高音質ゆえに、現在のスタジオでもミキシング・コンソールにはアナログ製品が多く使われている。S&GのOld Friends Tourでもミキシング・コンソールをはじめ音響はアナログ・システム。デジタルの利点は、録音媒体の取り扱いが楽なことと、ダビングの繰り返しでも音質が劣化しないことが大きい。)
マイケル:
アナログテープでは、編集も大変ですからね。
ロイ:
まったくさ。それでちょうどその頃ポールから電話があって、「新しいエキサイティングなプロジェクトを始めるんだが、一緒にやらないか?」というんだ。「いいね」と答えて、アーティの方は途中で抜けたんだ。アーティはジェフ・エメリックを起用して仕事を終わらせた。のちにCDが送られてきて、なんというひどいサウンドかと、信じられなかった。(デジタルのせいであって、エメリックのせいではないが・・・:原注)
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