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自らの過去と対面するのには、勇気が要りますが(笑)...
1999年11月、地元の名古屋でS&GのカバーをしていたTATAというお二人のライブに参加するという形で、初めてネットの会議室(とらさんの初代会議室だったと思います)で知り合った人たちと顔を合わせてお話をしました。
この時、1974年のPaulの愛知県体育館でのコンサートを友人が撮影した写真を持って行ったのですが、初めてお会いしたうちのお二人がまさにその1974年生まれだと知って一瞬めまいを覚えました(笑)。でも、会議室と呼ばれる電子的な掲示板で何度も対話しているせいか、初めて顔をあわせても旧友に会った感じでした。
また、その時、東京でのオフ会の話も伺って、大いに興味をおぼえたものでした。
最初に演奏オフ会に参加したのは2000年8月19日の GOK Sound での第8回関東演奏オフ会でした。(こうもりさんが2代目の今の会議室を作った後ですね)
この時は、聴くのみでした。
中学3年生以来人前で歌ったこともなく、ギターも自己満足的にしか練習してなかったものですから。
実際、参加してみて、ギターにしろ、知識にしろ、皆さんのレベルの高さに驚きました。私が高校の頃に半年くらいかかって覚えたScarborough Fairが、皆さんの間では"簡単な曲"であったことを聞いてショックでした。
次の参加は、2000年12月16日の エルブール での第9回関東演奏オフ会です。
またも聴衆としての参加でした。
このときは、準備に時間がかかったのか外のファミレスでの待ち時間が異様に長く、その間、出会った方々とお話出来ました。当然、演奏会が始まってからの時間は押して、第3部の始まる頃、新幹線に乗るために先に帰るという悔しい思いをしたことを覚えています。
いよいよ、我慢できなくなり、自分でも歌い始めたのは、2001年9月15日の【リマスター発売記念オフ会】(御徒町 SAHA)でした。
実は開催案内のなかで、こうもりさんから背中を押されたのが大きかったです。Homeward BoundとApril Come She Willという、私にとっては大好きで、しかも難しい、それでいて、ベテランの皆さんにとっては易しい曲(笑)でした。当然の事ながら、緊張のためにギターも歌もとちりながらです。
「オフ会の連絡」会議室でも当時書き込んだのですが:
「客席から聞こえてくるハーモニーが暖かい声援であるように聞こえました」というのが偽らざる気持ちです。
2002年3月9日 9月14日の大阪での演奏オフ、さらに2004年8月22日東京での演奏オフ会で歌わせて頂きました。
オフ会で歌うようになると出費が増えます(笑)。
もともと、ヒトケタ万円のギターしか持っていなかったのですが、関西でのオフでとてもすてきな音のギターを弾かせてもらって、自分のギターが見劣りするようになりました。東京でのオフはピックアップの音ばかりなので、あまり気にしていませんでした。結局2003年には給料手取り1か月分に近い金額をはたいて、あらたにギターを入手しました。さらに練習用に譜面台やマイクスタンドも買いました。
演奏に参加するならマイクスタンド(1980円くらいからあります)を買ってテキトーなマイクを自分の口から3cmくらい離して歌う練習をしましょう。何も無しに歌っていて、いざ、オフ会会場で歌うと、マイクが邪魔で困ります(笑)
【余談】オフ会とはOff-line meetingのことで、ネットでの話(on-line)に対するOff-lineのことです。はじめてこの用語を知ったのは1990年頃のパソコン通信でした。最近、仕事で、よくアメリカの会社と電話会議をします。電話会議の場でまとまらなかったことなどがあると、日本にいる駐在員に「そちらでoff-lineで話してみてくれ」ということがあります。ネットの掲示板だけの話ではないようです。
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