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ワタクシゴトですが先週土曜日に30年弱の古い友人が亡くなりました。
49歳、突然の死でした。
古いマンガ友達で、「凝り性年賀状」の友でもあり毎年年賀状が届いた後に4〜5通の長文メールのやり取りをします。
なので今年も2月末にもメールしたばかり。
姉の友人でもあるので、二人で月曜日のお通夜に大宮まで行きました。
悲しみというより驚きで、どこか精神的に高揚してしまい、
その死を悼み嘆きつつも新幹線の中で友人の思い出話を二人で語り続けました。
楽しい思い出話ばかり。
故人の思い出を語るのが供養のようにも思えました。
お通夜に集まったご学友の皆さんの話にも耳を傾けました。
お通夜では悲しくて涙も出るのですが
「やばい」と思ったのは、まだ本当の意味で納得できていない自分を感じたから。
通夜の前後に今までもらった作品や手紙、メールを読み返し、いろいろ思い出すほどに
喪失感ばかりまさって悲しみに気持ちが届かない。
もちろん、私などより
残されたご家族の喪失感ははるかに大きく、痛みが深すぎて、比べるまでもない。
どう言葉をかけていいかもわからないほどです。
ただ、親しい友人の死がこんなにも衝撃的で受け入れがたいとは。ちょっと盲点だった。
いつも高齢の母と会えば「死」の話題は日常のそれで、仕方なく自分でも受け入れる訓練(?)をしているつもりでいました(正直目をそらしたいですが)
まぁね。訓練しているつもりでも、親の死は最もひどく堪えるだろうし、途方に暮れて嘆くだろうとは思っています。
やらなきゃいけない雑務にも忙殺されるだろうし…。本当の喪失感は今からは想像できないと思う。
でも、受け入れるしかないとは思っています。
友人の死(しかも元気だった)は想定外でした。
そのせいか
ハイテンションがなかなか納まらず、「しっかり泣いた方がいいなぁ」と思いながら涙が少ししか出ない。
数日間テンションが高いまま続き、胃は痛くなるし、くたくたになってきました。
「本当につらいご家族の状況を思ったら、私の立場で感傷的になるのもいかがなものか。」と頭では分かるのですが、テンションのスイッチが切り替えられません。
現実感を伴わない妙な感情を何とかしないと…と思っていた夜。
いつものように家事タイムでS&Gの音楽をイヤホンで聴き始めたところ最初の2〜3曲はただ耳を素通りしている感じだったのが
ある曲の前奏が始まった瞬間(タイトル、すぐに浮かばなかったくらい瞬間)
突然音が心に押し寄せてきました。
「OLD FRIENDS LIVE ON STAGE」の「AMERICAN TUNE」でした。
後は驚くほど滂沱の涙。
流れるままに流れて、やっと素直に悲しみが追い付いてきた感じでした。
理屈でなく、涙。
ここで泣いてしまおうと思って何度も繰り返し聴きました。
すごく不思議な感覚。
音と声で誘発された涙が乾いた所に流れ込む。
この曲には死んだ夢を見るシーンが出てきますが、別に歌詞を考えて涙が出たわけではないです。
後から考えたら、似つかわしい曲だったんだなと。
あらためて、S&Gの曲(歌)に救われた気がしました。
喪失感は変わりません。そういうもんだと思う。
解決ではないまでも、硬直していた感情が解放されて柔らかくなったというのか…うまく言えません。
ちなみに
亡くなった友人は下記合作マンガに参加してます。
当時まだ大学生だった友人は22ページから登場。
http://www.geocities.jp/terushi2002/C-P000.html
プログレが好きで、ポールとアートIIに登場したサングラスの「ユージーン・アックス」は
http://alliknow.web.infoseek.co.jp/P104.html
友人が名付け親(笑)
ユージーンはたまたま私が付けたけど、フルネームはまだ無かったんです。
そんな話をしたら
>冗談で「ユージン・アックス」というのはどうですか?
>プログレの人は笑ってくれるかなあ。
>危ない奴ということもひっかけて
>(ピンクフロイドに「ユージン斧に気をつけろ
>CAREFUL WITH THAT AXE, EUGENE」という曲がある)。
(メールより引用)
ということで、「ユージーン・アックス」になった次第。
長々失礼しました。
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